三浦 寛(みうら ひろし)
三日目

陰と陽とは、性エネルギーと生エネルギーの対象である。     陰と陽とは、(-)(+)未分の一なる対極の意思であり、愛と調和の発動である。     陰と陽とは、陰 極まれば 陽、陽 極まれば 陰、 見えざるものの如きであ […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
二日目

陰と陽とは、ものことなりの非対象性である。     陰と陽とは、主体と対称の調和である。     陰と陽とは、あからさまのまんまの影である。     陰と陽とは、無双相似である。    

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三浦 寛(みうら ひろし)
初日

ブログがスタートします。   テーマが「陰と陽」ということでした。   余り難しくとらえてもつまらないので、くだいた文章も残しておきました。   中にはそれはどうかなと思える点もあろうかと思いますが、ナルホドと思えること […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
七日目。

操体と操体法は、 愛のキャッチングボールである。 「愛」とは「調和」であり、調和の「総体」(そうたい)は 「快」である。 快は拡張のリズムであり、不快は収縮のリズムであり、 生命の恒常性のバランスである。 生命の力、とは […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
 六日目。唯物論と唯心論での愛のゆくえ

弁証法は、陰陽の起源について 矛盾であるという。 矛盾とは、つまり「わからない」ということである。 陰陽未分の一なる存在は、わからないと・・・・。 弁証法とは、唯物論のことである。 弁証法では愛は語れないってことなのか、 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
五日目。万華鏡

私の治療室には、いくつかの万華鏡がある。 この万華鏡をみていると、人体(生体)の構造も、 その運動も光のリズムに感じる。 リズムは変化であり、バランスである。 バランスとは動きである。 それは、愛ならんとする調和である。 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
四日目。火鏡と水鏡

火と水は分離を示すものではなく、融合である。 一にして二、二にして一の、総合的親和である。 上古代文明人は、この火と水をカミにたとえた。 神である。 もの、こと、なりの潜象(物理)を照らしている存在である。 水も火も、固 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
三日目。あたりまえにうけとっていることが愛

今回は愛がテーマのようですが、 愛という言葉を使わずに、 それを表現することの大切さがあります。 私はみんなが知っているように、 日誌をつけています。 ノート一冊分は一ヶ月ももちません。 日々、毎日あきもせづ、 自分と向 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
二日目。愛は言葉より重い

愛は言葉より重い。 口で言うほど、うすっぺらいものではない。 愛をアイという一言で表現できるだろうか。 ゲーテにしても、アインシュタインにしても、 愛とは永遠の呪文だったのかもしれない。 愛とは干渉すればするほど、醒める […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
 最終日。

バルの戒め(一) 一. 頑張らない 一. 欲ばらない 一. いばらない 一. しばらない バルの戒め(二) 一. 自慢しない 一. いばらない 一. 名のらない(なにかを成し遂げても) 一. 偉ぶらない 一日七時間臨生に […]

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