三浦 寛(みうら ひろし)

三浦 寛(みうら ひろし)
五日目。万華鏡

私の治療室には、いくつかの万華鏡がある。 この万華鏡をみていると、人体(生体)の構造も、 その運動も光のリズムに感じる。 リズムは変化であり、バランスである。 バランスとは動きである。 それは、愛ならんとする調和である。 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
四日目。火鏡と水鏡

火と水は分離を示すものではなく、融合である。 一にして二、二にして一の、総合的親和である。 上古代文明人は、この火と水をカミにたとえた。 神である。 もの、こと、なりの潜象(物理)を照らしている存在である。 水も火も、固 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
三日目。あたりまえにうけとっていることが愛

今回は愛がテーマのようですが、 愛という言葉を使わずに、 それを表現することの大切さがあります。 私はみんなが知っているように、 日誌をつけています。 ノート一冊分は一ヶ月ももちません。 日々、毎日あきもせづ、 自分と向 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
二日目。愛は言葉より重い

愛は言葉より重い。 口で言うほど、うすっぺらいものではない。 愛をアイという一言で表現できるだろうか。 ゲーテにしても、アインシュタインにしても、 愛とは永遠の呪文だったのかもしれない。 愛とは干渉すればするほど、醒める […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
 最終日。

バルの戒め(一) 一. 頑張らない 一. 欲ばらない 一. いばらない 一. しばらない バルの戒め(二) 一. 自慢しない 一. いばらない 一. 名のらない(なにかを成し遂げても) 一. 偉ぶらない 一日七時間臨生に […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
人生は編集である(3)

人生はせつ実である。 多くの人達は見返りを求め、 翻弄(ほんろう)されて生きている つまり己の人生を支配しようとしている 人達である。 支配しようとすれば、 もう一人の自分は奴隷(ドレイ)である。 人生はせつ実である。 […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
 人生は編集です(2)

人生は せつ実なものである。 人生と生としてとらえるか 性としてみるのか 性としてとらえることのできる 人生は 成幸者のものである。 人生の成功者は報いの報酬だけしか受け取っていない。 それらはちっぽけな報酬である。

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三浦 寛(みうら ひろし)
 人生は編集です(1)

その編集とは、手段を本質にかえていくことです。 人生は自分ごときの「おもてなし」です。 イイ加減なもてなしを受けても 気分がイイ訳がない。 それは自分に対しても同じである きちんとおもてなしをすれば きもちがいいものです […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
 とんでもないことがあたりまえになってくるのが真の学問である

たびたび口にすることだが、修業時代 「先生がやっていることに名称があるのですか」と 聞いたことがある。 すると、デカイ声で 「名称なんてどうでもいい。真理こそ大切なんだ。 真理が真理の力で立てるように励みなさい」と言われ […]

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三浦 寛(みうら ひろし)
つながってくる

橋本先生の元で学びに入った若き頃の思い出に、 先生が神代文字をひろい、ホツマツタエを学び、晩年相似象に出会い、 宇野先生との交流を深めていった。 その一端が解けてきたのである。 密接にみんな一つ一つがつながっているのであ […]

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